2018年9月20日木曜日

久しぶりの独り言 ①「装いの定義」






大変ご無沙汰しておりました。


企画展も落ち着いた頃
無理矢理にでも一度立ち止まり
自分の中の疑問と
向き合おうと思いました。

というと聞こえが良いですが、
中々前に進めまない日々


どうしても
自分の中の「?」が消えない



”人はなぜ装い、飾るのか”
”人にとってジュエリーとは何か”
”なぜ自分は装うものを作るのか”
”私は何を伝えたいのか”


ここから
色々と「?」は派生していくのですが...


”装いと用の美(民藝)”
は相反するのではないか
交わる事はあるのか

などなど


ひとつひとつ心の整理
独り言としてここに書き残したいと思います。

どうぞお付き合い下さい。







ではまず
”装い”
について


ネットなどで定義や意味を調べると
出てくるのは

美しさや華やかさ、立派に見える様に手を加える事
富や権力の象徴など
他人の目を引く為の道具としての装い
宗教的道具として

ジュエリーはそこからうまれたんだろう。

宝石は最も解り易い道具


では
私もその定義に基づいたものを身につけるのか
作りたいのか

...


ここ何年興味が続いている民藝
民藝への私なりの解釈,定義
自然の中で生きていく上で必要なことの為に出来た美
日常必要とし人の生活に溶込み、作り手は無心で正直である



民藝や自分自身の理念、核となるもの
と装う事が相反してしまう


私は修飾したい訳ではない

むしろ
最近年を重ねる毎に
粉飾も修飾もしなくなった
ジュエリーの数も大きさも少なく小さくなった


う〜ん
ではなぜ装うものを私は身につけ
そしてつくるんだろうか
またこの問いが出てくる


民藝とは違い
生活や暮らしに決して直結しない装飾品

装い(飾る美)と民藝(用の美)
は正反対にいる様な気がしたんです。



では自分自身の中に見つけた”装う”の定義とは?

非言語の記号(メッセージ)
自分自身を伝える道具(自己表現、自己紹介)
アイデンティティ
自分自身に近い存在をするもの
最も近く寄り添うもの(溶込むもの)


という答えに至りました。



では
自分自身の理念、核とはなんだろう


続きます。








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