2018年9月20日木曜日

② 「核となるもの」


では
”自分自身の核とはなんだろう”

と掘り下げる


原始的なもの(美)への憧憬
自然の営みの模倣
普遍的な洗練


となりました。


この核が

”用の美”

更には

”山岳民族”



へと交わり繋がるんじゃないか


いや自分自身つなげたい
理由が欲しいだけかもしれませんが...笑



以前出た
装い(飾る美)と民藝(用の美)は相反するのではないか
という答えから変化した瞬間

ああ、なんだか少しすっきり




”原始的なもの(美)への憧憬”
自然に近い元々の姿
素朴であり未開発、少し野蛮さも併せもったその様
作為ではなく無心


自然には敵いっこない。
私はそう思います。

一歩森へ入れば不規則に絡み合う木の蔓
植物の鮮やかなコントラスト
美術館よりももっと自分の感性を刺激してくれる要素が沢山転がっている。

そして自然と共に暮らす人達(山岳民族)
その人々から作られる物

どれも原始的で美しい
今の自分自身にはとても出来ない難しい感覚と感性


きっと
民藝も近いところにあるのだろうな。


”自然の営みの模倣”
自分自身の暮らしもそうでありたいなと
最近良く思います。
そして自分の夢

より自然の中で暮らし
原始的なものを使い
受け継がれた暮らしをしたい


人間ですから
自然を生み出す事は出来ませんが、
憧憬や愛情から

模倣する
より自然に近づく

事は出来る
と思います。


そこから
私が惹かれる
山岳民族の方々につながると思うんです。


カレン族が最初にデザインし作ったビーズは
穀物を元に模倣したデザインでした。

その形はどこか
未開発で未発達
素朴な人間らしさも自然らしさもある
しかし力強い美しさがあります。

そこに私は惹かれました。

そして今もカレンの方々は変わらず作り続けています。
きっと彼らのアイデンティティは消えていない。

そう感じます。



”普遍的な洗練”
時代を超えても人は自然に触れたいと思います。
美しい景色に、色鮮やかな野菜や植物
亡くなったジョージア・オキーフや
もう何年も前の映画や音楽
アンティークの古物達
今民藝が注目されているのもきっとそう

そこには
普遍的な洗練された魅力(美)がある
からだと思います。

無心の美
正直な美


”美しさ”
きっと色々な種類があると思います。

私の考える
普遍的な美しさ
そこを
追い求めていきたい(作り続ける)と思います。

大まかなこの三つの要素を
大事にしながら
元にしながら



続きます。







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